永遠のテーマ

会員エッセイ
清水フィルと第九を唱う
ベートーベン 交響曲第9番   第4楽章「歓喜の歌」


内 藤  浩

 クライマックスの最終節だ。下腹に息をすい込み思いっきり「ゲーテルフンケン、ゲーテルフンケン!」小刻みに激しく動いていたオケの弓が一斉に止まった。間発入れず割れんばかりの拍手がホールに響く。ステージで拍手を浴びている瞬間、大きな達成感と満足感に夢心地であった。清水マリナートホールで合唱団250人の一人として「第九・歓喜の歌」をへたながら歌い上げることができた。

永遠のテーマ


 2014年6月8日から合唱団練習が始まった。ソリストの村上先生による特別レッスンで「第九をマスターするのには3年かかる」と話された。合唱の経験もなく音痴の自分がいきなり第九に飛び込み、無知・愚かさを恥じた。が、やれるところまでやってみようと決意した。

まずドイツ語の発音にてこずる。音階は1オクターブの上がり下がりが頻繁に出てくる。テノールは高音階の「ソ」まで出す。アコーディオンで音を取る。しかし出る声は鶏が首を絞められたような声で、それとはかなりかけ離れている。歌詞の発音をしっかり出そうとすると、メロディーが先に行ってしまう。メロディーを取って行くと歌詞がついていかない。迷い迷い自分流で歌っていると「高い音は上から被せるように声を出すように!」先生から矢継ぎ早に注文・クレームが飛んでくる。「すべて自分の事を言われている」と頷く。250人の声をよく聞き分けることができるな!と感心してしまう。

CDを繰り返しくりかえし聴いて頭に叩き込むも上手く歌えない。「どうしよう、困った」と日毎あせりが増すばかりである。発表が間近に迫る11月24日。「歩歩路」で「歌の花束コンサート」があった。合唱団練習で伴奏をしてくれる佐藤先生がピアノ出演。佐藤先生と同期でオペラ歌手の大石夫妻も出演された。一番前で熱唱を聞いていて「そうだ、大石先生に教えてもらおう!」と思い付く。コンサートが終わり初対面の失礼を承知で「第九を教えてください」とお願いしたところ快諾していただいた。本番まで3回約4時間のレッスン。どうしても一箇所上手く歌えない所がある。「ここは音大生が2週間かけて覚える一番難しい所。僕も大嫌いな所」と聞き、「素人の自分が歌えないのは無理ないな」と、ホッとした。「第九を歌えればどんな曲も歌える。内藤さん、月2回だけの練習でこれだけ歌えればいい。楽しんで歌ってきて」と送り出してくれた。

 公演の12月14日。リハーサルの声出し。指導の山田先生が胸に手を当て「歌にハートがこもっていない。聴く人の胸に伝わってこない。曲の情景を描き表情豊かに!」と、檄が飛ぶ。その言葉を「心」して本番に臨む。第一部・清水桜が丘高校吹奏楽部との共演は緊張するも、不思議とスムーズに唄えた。それもそのはず。私の右隣は指導者の河村会長。左隣に第1回から第九を唄っている大ベテランの先輩。その2人に挟まれ両方からしっかりした音をもらう。1年生の私に対して最大限の配慮をしていただいたと感謝する。

第2部・清水フィルの伴奏でいよいよ「歓喜の歌」が始まる。出足の「フロィディ」がうまく声が出た。そのあとは指揮者のタクトに合わせオケに乗り楽しく歌うことができた。打ち上げが終わり大石先生にお礼の電話を入れた。一緒に喜んでくれた。余韻が覚めやらぬ4日後、胸ポケットの中で録音したICレコーダーを聴いてみた。イヤホンから流れてくる自分の歌に愕然としてしまった。あまりの不出来さに、恥ずかしくて脂汗が出てきた。1200人の聴衆の皆様に謝りたい心境であった。ただ声を張り上げただけ。指摘された「心」が入っていない。お粗末だった。私の隣で歌った河村会長、先輩。さぞかし歌いにくかったことだろう。女房曰く「誰だって最初から上手くは歌えない」と。ソリストの村上先生がおっしゃった「第九をマスターするに3年かかる」を実感として味わう。私には10年いや20年かけても歌えない永遠の曲だろう!

来年は「歓喜の歌大演奏会」も25回を数える節目の年。アコーディオンクラブの仲間から「浩君、来年私も第九を唄いたいのでご一緒させてください」と話があった。彼女はピアノの教師をしているし歌も抜群に上手いからすぐに歌えてしまうだろうが。私は・・・返事に窮した。


島田ハイキングクラブ会報 「やまびこ」 NO213(1月号) P12転載
SHC広報



2015年01月08日 Posted byこだま at 21:00 │Comments(0)会員エッセイ

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