やいがね山

遅ればせながら

新年明けまして
おめでとうございます。



山行の帰りに立ち寄った島田市大代にある今年の干支、未(ひつじ)



2015年1月28日(水)
ひらめグループ山行報告

やいがね山(島田・掛川・市境)
SHCメンバー10名 (平女5名・平男5名)



やいがね山 【標高568m】    山頂の三角点にタッチ!



近隣の山でありながら会では踏破した人おらず、気になる山のひとつ。
「やいがね山」 と検索してもなかなかヒットしない。今回ひらめ部隊が実地踏査と相成る。

続・やいがね山は  ⇒ こちら



  


2015年01月29日 Posted by こだま at 20:00Comments(0)グループ山行報告

蓬莱橋を渡って

2015年1月17日(土)
SHC第51回おはようハイキングの報告
♪ ~我らが母なる川 ~ 大井川を歩いて渡る(蓬莱橋篇)

地図&行程



蓬莱橋は、897・4mの世界一長い木橋




大井川の川面に朝陽がきらめいて・・




蓬莱橋を渡って初倉へ









牧之原茶園開拓の功労者、中條景昭像

現在地、牧ノ原台地は、100~150m
ここから稜線を見渡し大井川をとり囲む山々の標高を取り上げてみました。

東から
高草山【501m】  富士山【3776m】
北方向は白岩寺展望台【160m】 白岩寺山【190m】 高根山【871m】 双子山【437m】 菩提山【677m】 無双連山【1083m】椿山【485m】 千葉山【496m】 矢倉山【311m】 どうだん原【337m】 高山【569m】 柏っ原【296m】 西方向には、神尾山【551m】 大日山 【881m】 八高山【831m】 経塚山【670m】 大尾山【661m】 粟ヶ岳【532m】 小夜の中山【310m】 火剣山【283m】 岳山【585m】 やいがね山【568m】



参加者は、31名。



中條景昭像を後にして、茶畑の中を歩いていくと・・・、








次は・・谷口原の愛宕塚古墳へ。








この古墳 は、明治4年に地主が狐狩りの際偶然発見したと言う。








そして、島田でただひとつ残っている前方後円墳。









敬満神社境内では、












セルフレスキューワンポイント講座




敬満神社を後にして・・・








島田大橋を渡って周回。 横殴りに吹くこの、すごい風は一体、風速何m?








リバティを歩いて



蓬莱橋の下。マラソンコース・リバティ沿いにある田中波月さんの句碑








銃を担いてとおったか  この橋板のぶ厚さ



俳人田中波月さんの句碑は、朝顔の松公園にもあります。


来月は、”凍結した大垂滝を見よう!”と題して、福用〜大垂滝(八高山)周回です。




SHC広報
  


2015年01月25日 Posted by こだま at 18:00Comments(0)おはようハイキング

蓬莱橋を渡ろう




♪ ~気軽に参加できる
SHCのおはようハイキングのご案内





 前回のおはようハイキングは、水路橋を歩いて大井川を渡りました。今月は蓬莱橋です。897・4mの世界一長い木橋、蓬莱橋を渡り、牧之原茶園開拓の功労者、中條景昭像、愛宕塚古墳を訪ねます。途中、敬満神社境内にてセルフレスキューワンポイント訓練を行います。有意義な朝のハイキングを楽しみましょう。

日 時  1月17日 (土) (雨天中止)
集 合  蓬莱橋駐車場 午前7時20分
コース  (歩行時間:約2時間)

蓬莱橋左岸側(7:30)…中條景昭之像…愛宕塚古墳…敬満神社(救急法訓練)…島田大橋…リバティマラソンコース…蓬莱橋駐車場(10:00頃)




担当・初倉グループ

  


2015年01月09日 Posted by こだま at 12:00Comments(0)おはようハイキング

永遠のテーマ

会員エッセイ
清水フィルと第九を唱う
ベートーベン 交響曲第9番   第4楽章「歓喜の歌」


内 藤  浩

 クライマックスの最終節だ。下腹に息をすい込み思いっきり「ゲーテルフンケン、ゲーテルフンケン!」小刻みに激しく動いていたオケの弓が一斉に止まった。間発入れず割れんばかりの拍手がホールに響く。ステージで拍手を浴びている瞬間、大きな達成感と満足感に夢心地であった。清水マリナートホールで合唱団250人の一人として「第九・歓喜の歌」をへたながら歌い上げることができた。




 2014年6月8日から合唱団練習が始まった。ソリストの村上先生による特別レッスンで「第九をマスターするのには3年かかる」と話された。合唱の経験もなく音痴の自分がいきなり第九に飛び込み、無知・愚かさを恥じた。が、やれるところまでやってみようと決意した。

まずドイツ語の発音にてこずる。音階は1オクターブの上がり下がりが頻繁に出てくる。テノールは高音階の「ソ」まで出す。アコーディオンで音を取る。しかし出る声は鶏が首を絞められたような声で、それとはかなりかけ離れている。歌詞の発音をしっかり出そうとすると、メロディーが先に行ってしまう。メロディーを取って行くと歌詞がついていかない。迷い迷い自分流で歌っていると「高い音は上から被せるように声を出すように!」先生から矢継ぎ早に注文・クレームが飛んでくる。「すべて自分の事を言われている」と頷く。250人の声をよく聞き分けることができるな!と感心してしまう。

CDを繰り返しくりかえし聴いて頭に叩き込むも上手く歌えない。「どうしよう、困った」と日毎あせりが増すばかりである。発表が間近に迫る11月24日。「歩歩路」で「歌の花束コンサート」があった。合唱団練習で伴奏をしてくれる佐藤先生がピアノ出演。佐藤先生と同期でオペラ歌手の大石夫妻も出演された。一番前で熱唱を聞いていて「そうだ、大石先生に教えてもらおう!」と思い付く。コンサートが終わり初対面の失礼を承知で「第九を教えてください」とお願いしたところ快諾していただいた。本番まで3回約4時間のレッスン。どうしても一箇所上手く歌えない所がある。「ここは音大生が2週間かけて覚える一番難しい所。僕も大嫌いな所」と聞き、「素人の自分が歌えないのは無理ないな」と、ホッとした。「第九を歌えればどんな曲も歌える。内藤さん、月2回だけの練習でこれだけ歌えればいい。楽しんで歌ってきて」と送り出してくれた。

 公演の12月14日。リハーサルの声出し。指導の山田先生が胸に手を当て「歌にハートがこもっていない。聴く人の胸に伝わってこない。曲の情景を描き表情豊かに!」と、檄が飛ぶ。その言葉を「心」して本番に臨む。第一部・清水桜が丘高校吹奏楽部との共演は緊張するも、不思議とスムーズに唄えた。それもそのはず。私の右隣は指導者の河村会長。左隣に第1回から第九を唄っている大ベテランの先輩。その2人に挟まれ両方からしっかりした音をもらう。1年生の私に対して最大限の配慮をしていただいたと感謝する。

第2部・清水フィルの伴奏でいよいよ「歓喜の歌」が始まる。出足の「フロィディ」がうまく声が出た。そのあとは指揮者のタクトに合わせオケに乗り楽しく歌うことができた。打ち上げが終わり大石先生にお礼の電話を入れた。一緒に喜んでくれた。余韻が覚めやらぬ4日後、胸ポケットの中で録音したICレコーダーを聴いてみた。イヤホンから流れてくる自分の歌に愕然としてしまった。あまりの不出来さに、恥ずかしくて脂汗が出てきた。1200人の聴衆の皆様に謝りたい心境であった。ただ声を張り上げただけ。指摘された「心」が入っていない。お粗末だった。私の隣で歌った河村会長、先輩。さぞかし歌いにくかったことだろう。女房曰く「誰だって最初から上手くは歌えない」と。ソリストの村上先生がおっしゃった「第九をマスターするに3年かかる」を実感として味わう。私には10年いや20年かけても歌えない永遠の曲だろう!

来年は「歓喜の歌大演奏会」も25回を数える節目の年。アコーディオンクラブの仲間から「浩君、来年私も第九を唄いたいのでご一緒させてください」と話があった。彼女はピアノの教師をしているし歌も抜群に上手いからすぐに歌えてしまうだろうが。私は・・・返事に窮した。


島田ハイキングクラブ会報 「やまびこ」 NO213(1月号) P12転載
SHC広報
  


2015年01月08日 Posted by こだま at 21:00Comments(0)会員エッセイ

小笠山

2014年12月19日(木)
ひらめグループ山行報告

小笠山(遠州)
SHCメンバー14名
(平女8名・平男6名)





六枚屏風の入口
















今回の山行の目玉、”六枚屏風”を見物
















六枚屏風の断面の削られた丸い石を見れば分かりますが、小笠山は太田川の河原が隆起してできたといわれています。
























屏風岩の中から上を見れば
狭い隙間から青空が見える。






低山にしては展望台が数箇所ある


前黒法師が見えます。


1569年掛川合戦時の家康本陣址や家康が作った小笠山砦跡がある








小笠神社のベンチで昼食











ひらめ山行は鍋山行



















あとは ・・ 厄除け団子、厄除け団子 ・・・






法多山から小笠山総合運動公園へ下り、愛野駅へ



行程
島田駅(7:57)=掛川駅=〈バス〉=大谷(8:51~55)…板沢分岐(9:48~10:02)…六枚屏風(10:05~25)…小笠山(10:38~43)…小笠神社(10:50~12:05)…久保分岐(12:34)…エコパ分岐(12:40)…県道分岐(13:00)…法多山(13:40~14:50)=愛野駅(15:31)


参加メンバー、平男さんの感想
 近場ですが、小笠山に登るのは初めてです。整備された茶畑を抜け、枯れ葉で敷きつめられた登山道に入ると、海抜200m程度なのにあなどるなかれ、左右の絶壁はかなりのスリル。小笠山付近の砂礫地質で形成された地層だそうです。山頂手前の六枚屏風は、その砂礫層がわずかな水の力で切り開かれたのか、人一人がやっと通れるほどの隙間。冒険気分を味わえました。小笠神社では、Nさんの用意してくれた豚汁とホットワインを満喫。法多山にお参りし、団子を買って帰りました。 〔博道〕

SHC広報
  


2015年01月05日 Posted by こだま at 13:00Comments(0)グループ山行報告

大井川を歩いて渡る

♪ ~ 箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川

『東海道五十三次・嶋田』
広重の絵は、大井川の渡しの様子



当時の人々は苦労して大井川を渡らなければなりませんでした。



2014年12月14日(日)
SHC第50回おはようハイキングの報告
♪ ~我らが母なる川 ~ 大井川を歩いて渡る

地図&行程


水路橋を歩いて、神座(島田)~横岡(金谷) へ。








大井川の水は


今は徹底して利活用されている。橋面の下は水路になっていて








大井川から引き込んだ水が勢いよく音をたてて流れている。








水路橋を渡りきり、対岸の神座方面を返り見る。


水路橋を後にして


のどかな横岡の風景











田園風景~新東名高速道の高架下を通り








新東名の上に架かる牛尾山西跨道橋を横断









熊野神社のオオクスノキ


















抹茶クッキー。 今朝焼いたと言うクッキーにはSHCと焼印が入っている。










左側に見える小高い丘は牛尾山。(戦争遺跡の牛尾実験所跡がある。)
ここは、強力電磁波兵器を極秘研究していた島田実験所の疎開先として建設中だった太平洋戦争末期の遺跡




大井川河川敷にあったセンダンの実。
花が散ると緑色の実がなり冬は黄色く色づき落葉後にもに実が残る。









『東海道五十三次・金谷』
この高い ↴ 山は何と言う山でしょうか



金谷側から新大井川橋を渡り島田へ。(参加者24名全員無事帰着)





大井川水路橋
 
12月のおはようハイキングは「大井川を歩いて渡る」と銘うって、島田市を通過する大井川の一部分を周回するコースにしました。2年前に同じコースを歩いているし、空っ風が吹く道を、どれくらいの人が歩いてくれるか心配していました。でも、大勢の参加者(ゲスト含み24名)があり、計画通り歩くことができました。皆さん研究熱心で所々で立ち止まって看板に見入り、解釈しながら進んだので帰着時間が予定をオーバーするほどでした。特に水路橋と、牛尾実験所跡に興味が集中したようですから、今回の担当者で手分けして、これらの構造物について、もう少し詳しく述べてみたいと思います。



 大井川水路橋は、平成18年旧水路橋の100m上流に完成しました。大井川における利便性向上のため強度を増やして車両の通行ができるようになっており、このような事例は全国でも珍しい存在です。車両の通行は、時間帯で交互通行になりますからご注意。全長732m、毎秒10㎥の水が大井川左岸(神座)から右岸(金谷横岡)に流れています。10㎥/秒の流量は我が家(14/10~11・31㎥)の20日分の上水道使用量に相当します。と比較してみても見当がつきませんが。農業用として袋井市、掛川市、菊川市、御前崎市を潤しています。








一方左岸を行く水は、向谷幹線と呼ばれる水路を通り、谷口橋下流で、今度は大井川河床7m下のサイフォンを通り右岸に渡ります。




この水は島田市右岸と吉田町に流れていきます。こちらのサイフォンは平成19年に完成しましたが、40年間使われてきた旧サイフォンを、ここ数年来撤去してきました。”14/2 この撤去工事の見学会があったので参加しました。重機類が現在ほど発達していなかった時代に、これだけの工事を成し遂げた先人の努力に頭が下がりました。

座学の際、ずーっと疑問になっていたことを尋ねました。我が家の前に大きな水路がありますが、その下に、更に水路としての角枡を埋める工事を目撃していました。その水はどこへ行くのか質問しましたが、前述の向谷幹線の一部であることを教えていただきました。向谷幹線および並行する赤松幹線は、合流したり、離れたりしながら、水路の枝は藤枝市から焼津市まで伸びているのです。なおかつ、大井川町(現焼津市)には伏流水が湧きでている、恐るべし、誇るべし、大井川!

”14╱3 「大井川の清流を守る研究協議会」主催の見学会があったようです。自分の足で歩いて、或いは見学会などを利用して大井川をもっと知れば、この川に対する愛着が増し、その源である南アルプスへの想いがつのることでしょう。。【金苗】


島田牛尾実験所跡

  洪水対策として始められた牛尾山の掘削工事は、忘れ去られた戦争の爪痕を私たちに浮かび上がらせた。その名も「第二海軍技術廠牛尾実験所」跡地である。現在見ることのできる土台跡は電源室と発信室とパラボラの土台である。実際には本来の実験施設が島田の旧東海パルプの横にあり、その疎開先として造られたのが牛尾山の実験施設と崎平の研究施設だ。ところでこの「第二海軍技術廠牛尾実験所」は何をしていたかというと、殺人光線の研究であったと伝えられている。

そして驚くのはこの実験の為に島田に当時の日本の頭脳が集結していたことである。顔ぶれは東京帝大や大阪帝大、東北帝大の教授や学生、静高(現静大)、一高(現東大)、浜松工業高等学校(現静大工学部)の教授など、特に目を引くのが湯川秀樹や朝永振一郎のノーベル賞受賞者である。その研究者の専門分野も多岐にわたり理論物理、実験物理、原子物理、宇宙物理、生物物理、それに電気、電子、天文学とまるで大学の講義をしているかのようであった。察するに当時の島田の町は高度な学術論であふれていたと思われるが、そこは極秘実験ゆえに庶民にはほとんど知られていなかったようである。実際の殺人光線の効果は5m先の小動物を殺すことができる程度であったようだ。

 現在の技術は戦争により発達してきたといわれるが、これからの時代は青色ダイオードを日本人が発見したように戦争とは無関係に発展していくだろうと私は思っている。【弘一】


会報やまびこNo213(1月号)おはようハイキング担当者の報告を転写
SHC広報
  


2015年01月03日 Posted by こだま at 18:00Comments(0)おはようハイキング