創刊200号
島田ハイキングクラブ会報 『やまびこ』 が200号に達しました。

会報『やまびこ』が200号に達した。会の創立と会報の発行に携わった者として、達成感というよりも安堵の思いを強くする。『やまびこ』は、創立準備会結成の1996年9月3日に№1を発行、翌年4月の会創立時(№3)からは早々と月刊化され、以降№200までこれを貫いてきた。
各号は薄いものではあるが総頁数は約2500頁に及び、ここに当会の活動の全てと、会に拠った人たち(134人)の山歩きの一時、山への想いの一端が残されている。自身を顧みれば、生業である印刷組版や編集という技能で会に関わっていこうと手掛けた『やまびこ』であったが、気が付けば自分の生活の柱の一つにもなってきたように思える。
そして、この制作を通じて私という人間をも伝え、また会報に寄せられる文章や写真などから仲間たちを理解してきた。『やまびこ』に目をやればその時々の山歩きの情景や想いが鮮明に蘇り、中年期の自分史ともなっていたことに気付く。

甚だ手前味噌にはなるが『やまびこ』の良さを上げるならば、月報であるがゆえの鮮度と適度な消化する時間の確保、そして、この会に拠った人たち全てが発信者となっていることだろう。かつて私は10年記念誌『山彦』に次のように記した。私たちは、一人ひとりが山によって得ようとするもの、そして得たものを、『やまびこ』を通して交感し、共有しようとしてきました。私たちは、文字どおり『山彦』となって、各々の想いをこだまさせ合ってきたのです。
当初の「○○山へ行った。楽しかった。大変だった。」的な感想文から、感動や発見の所在を自分の言葉で語うとする姿勢に変化してきたこと、これこそが私たちの仲間としての絆が深まっていったことであり、SHCの山歩きが深化してきたことの証であったと思える。山歩きは、スポーツであると同時に、文化としての一面も併せ持つ。文化とは人と人、人と自然との関わり、繋がりの時間と空間であるから、私たちは『やまびこ』を通してここまでSHCの文化を築いてきたのである。
一方で時代は、インターネットなど高速で大容量の通信システムの普及により、情報伝達のスピードが加速度的に増している。いま山を歩いている姿や、いま見ている情景を、リアルタイムに世界中に発信するこ映像的なリアル感と比すと、文を書き、編集という作業を経て紡ぎだされる〈会報〉という形式は、月報とはいえいかにも鈍重なものに見えてくる。会報の役割をいま現在の情報伝達ということに限るならば、ネット的な効率が優位を得るのであるが、果たしてそうなのか。
先日、静岡こまくさ会50周年式典に招かれ、同会会報『道標』バックナンバーをCDに収めたものを頂戴した。今は当会会員であるSさんの若かりし頃の文章など、目に止まったものを拾い読みした。ここにも確かな文化があった。1964年の東京オリンピックから次のオリンピック開催が決まった現在までの半世紀の時間が、〈山〉を介在して描かれていた。そして、それは〈過去〉に留まらず〈未来〉をも行き来できる時間のように感じることができた。
SHCの未来というものがどれだけの時間であるかは解らないが、今この会を成している私たちが、私たち同士だけでなく、過去の仲間たち、そして未来の仲間を繋いでいく架橋として、『やまびこ』が在り続けられたらと願う。
『やまびこ』創刊号は、1996年9月、本会準備会の結成をもって発行されました。初代代表、加藤さんの「山好き仲間のクラブは楽しい」と題した結成挨拶と共に、まずは地元の千葉山ハイキングの報告が掲載されていて、亡き内田さんや未だ学生だった池谷さんの二人のお子さんも感想を寄せていますから、経てきた時間の長さが分かります。以来各号は微々たるものでも、積み重ねてきた200号の内容はSHCの歩みそのものであったし、私自身にとってもこの編集・制作を通して山歩きに関わり、会内外に多くの仲間を得ることができました。今、ひとつの大きな山旅を成したような気持でいます。
さて本号の内容では、10月定例山行「笹山〜山伏」の報告で太田さんがヒヤリハットの体験を書いています。セルフレスキュー研修会報告とも絡み、こういうことが会報に寄せられ、それを皆が考えていく、それが大事ではないかと思いました。また、特別山行「青森の山旅」では八甲田山行中の天候悪化に対するリーダー陣の判断も貴重な経験でした。恵まれない天候の中でも皆さんが楽しんできた様子はいつも以上の感想の多さからも充分に窺えました。さらに、近隣の先輩岳人の皆さんからは200号へ励ましのメッセージをいただき、感謝の気持でいっぱいです。
200号はもう少し記念号らしい体裁にしようかとも考えましたが、準備不足や頁数(送付可能容量)の都合もあり結局、通常号に総覧を加えただけに終わってしまいました。が、背伸びせずに月々の活動報告を内容の基本とする月報形式で作ってきた会報ですから、これが相応しいかとひとり納得しています。積み残してしまったものは、次号以降の中で追々と加えていければと思っています。 〔元〕

過去、未来を繋ぐ架橋
『やまびこ』 創刊200号にあたって
『やまびこ』 創刊200号にあたって
元
会報『やまびこ』が200号に達した。会の創立と会報の発行に携わった者として、達成感というよりも安堵の思いを強くする。『やまびこ』は、創立準備会結成の1996年9月3日に№1を発行、翌年4月の会創立時(№3)からは早々と月刊化され、以降№200までこれを貫いてきた。
各号は薄いものではあるが総頁数は約2500頁に及び、ここに当会の活動の全てと、会に拠った人たち(134人)の山歩きの一時、山への想いの一端が残されている。自身を顧みれば、生業である印刷組版や編集という技能で会に関わっていこうと手掛けた『やまびこ』であったが、気が付けば自分の生活の柱の一つにもなってきたように思える。
そして、この制作を通じて私という人間をも伝え、また会報に寄せられる文章や写真などから仲間たちを理解してきた。『やまびこ』に目をやればその時々の山歩きの情景や想いが鮮明に蘇り、中年期の自分史ともなっていたことに気付く。

甚だ手前味噌にはなるが『やまびこ』の良さを上げるならば、月報であるがゆえの鮮度と適度な消化する時間の確保、そして、この会に拠った人たち全てが発信者となっていることだろう。かつて私は10年記念誌『山彦』に次のように記した。私たちは、一人ひとりが山によって得ようとするもの、そして得たものを、『やまびこ』を通して交感し、共有しようとしてきました。私たちは、文字どおり『山彦』となって、各々の想いをこだまさせ合ってきたのです。
当初の「○○山へ行った。楽しかった。大変だった。」的な感想文から、感動や発見の所在を自分の言葉で語うとする姿勢に変化してきたこと、これこそが私たちの仲間としての絆が深まっていったことであり、SHCの山歩きが深化してきたことの証であったと思える。山歩きは、スポーツであると同時に、文化としての一面も併せ持つ。文化とは人と人、人と自然との関わり、繋がりの時間と空間であるから、私たちは『やまびこ』を通してここまでSHCの文化を築いてきたのである。
一方で時代は、インターネットなど高速で大容量の通信システムの普及により、情報伝達のスピードが加速度的に増している。いま山を歩いている姿や、いま見ている情景を、リアルタイムに世界中に発信するこ映像的なリアル感と比すと、文を書き、編集という作業を経て紡ぎだされる〈会報〉という形式は、月報とはいえいかにも鈍重なものに見えてくる。会報の役割をいま現在の情報伝達ということに限るならば、ネット的な効率が優位を得るのであるが、果たしてそうなのか。
先日、静岡こまくさ会50周年式典に招かれ、同会会報『道標』バックナンバーをCDに収めたものを頂戴した。今は当会会員であるSさんの若かりし頃の文章など、目に止まったものを拾い読みした。ここにも確かな文化があった。1964年の東京オリンピックから次のオリンピック開催が決まった現在までの半世紀の時間が、〈山〉を介在して描かれていた。そして、それは〈過去〉に留まらず〈未来〉をも行き来できる時間のように感じることができた。
SHCの未来というものがどれだけの時間であるかは解らないが、今この会を成している私たちが、私たち同士だけでなく、過去の仲間たち、そして未来の仲間を繋いでいく架橋として、『やまびこ』が在り続けられたらと願う。
会報やまびこNo200(12月号 P27)転写
『やまびこ』創刊号は、1996年9月、本会準備会の結成をもって発行されました。初代代表、加藤さんの「山好き仲間のクラブは楽しい」と題した結成挨拶と共に、まずは地元の千葉山ハイキングの報告が掲載されていて、亡き内田さんや未だ学生だった池谷さんの二人のお子さんも感想を寄せていますから、経てきた時間の長さが分かります。以来各号は微々たるものでも、積み重ねてきた200号の内容はSHCの歩みそのものであったし、私自身にとってもこの編集・制作を通して山歩きに関わり、会内外に多くの仲間を得ることができました。今、ひとつの大きな山旅を成したような気持でいます。
さて本号の内容では、10月定例山行「笹山〜山伏」の報告で太田さんがヒヤリハットの体験を書いています。セルフレスキュー研修会報告とも絡み、こういうことが会報に寄せられ、それを皆が考えていく、それが大事ではないかと思いました。また、特別山行「青森の山旅」では八甲田山行中の天候悪化に対するリーダー陣の判断も貴重な経験でした。恵まれない天候の中でも皆さんが楽しんできた様子はいつも以上の感想の多さからも充分に窺えました。さらに、近隣の先輩岳人の皆さんからは200号へ励ましのメッセージをいただき、感謝の気持でいっぱいです。
200号はもう少し記念号らしい体裁にしようかとも考えましたが、準備不足や頁数(送付可能容量)の都合もあり結局、通常号に総覧を加えただけに終わってしまいました。が、背伸びせずに月々の活動報告を内容の基本とする月報形式で作ってきた会報ですから、これが相応しいかとひとり納得しています。積み残してしまったものは、次号以降の中で追々と加えていければと思っています。 〔元〕
会報やまびこNo200(12月号 P36)編集後記・転写
SHC 広報