4月定例山行「秋葉山」
島田ハイキングクラブの新年度最初の山行は、浜松市天竜区の秋葉山です。
秋葉山は火伏せの神として庶民の信仰を集め、今なお全国から参詣者が絶えません。
今回は下社より三尺坊を経て秋葉神社上社(秋葉山頂)へと上り、桜並木の秋葉ダムへ下ります。
東北関東大震災からの復興と、福島原発事故の早期の収拾も祈念してきたいと思います。
期日:4月10日(日)
行程:島田(7:00)〜秋葉神社下社…三尺坊…秋葉神社上社…秋葉ダム駐車場〜島田(17:30予定)
歩行時間(含休憩):約5時間
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4月の定例山行は、浜松市春野町と龍山町の境にある秋葉山885mである。秋葉山は山登りの対象というより、火伏せ(火防)の神社として全国に400社余りある秋葉神社の総本宮として有名である。秋葉山全体が火の神の御神体として江戸時代から庶民の信仰を集めた。毎年12月15,16日には「秋葉の火まつり」が行われ、火の舞が奉納される。
登り口は、春野町の秋葉神社下社近くの気田川畔の里坊という所にある。急な階段を上り詰めると千光寺という寺がある。その後東海自然歩道の道標に従うが、それは秋葉神社上社や秋葉寺への参道である。2,3mおきに横木を並べて登りやすいようにしてある。太い杉林の中をゆっくりと登っていく。その昔、老若男女が登った参道であるから急登はないがしっかり標高を稼いでゆく。千光寺から1時間ほどで少し開けた所に出る。見ると朽ちかけた古い小屋がある。ガイドブックによると富士見茶屋跡とのこと。昔、参道を登って来た善男善女はここで一息つき、喉を潤したのだろう。今は杉木立に囲まれて眺望はないが、その昔は富士山が望めたのだろう。
富士見茶屋跡から30分ほど登ると子安地蔵のお堂と昔の鳥居跡がある。お堂の前には沢山のひしゃくが積まれている。よく見るとそれらのひしゃくは全て底に穴が開けられている。札に書かれた説明によると、このお地蔵様は安産祈願の神様で、出産が無事に終わった親は底を抜いたひしゃくを奉納して感謝の気持ちを表すとのこと。
更に少し登ると、三尺坊大権現秋葉寺である。ここの山門は朱塗りで精巧な彫刻が施されている。昭和18年の大火の際、類焼を唯一免れた建物である。庫裏の軒下には薪が整然と積み上げられており、12月の火祭りの折りには護摩として焚かれるのであろう。
秋葉寺から30分程登ると秋葉山頂上885mである。着いて驚くのは、秋葉神社上社の立派なこと。金色眩しい大鳥居、豪壮な本殿、かわいい巫女さんもいる。売店や食堂も完備している。弁当持参の下見団だったが、「おいしいおそば」の看板に負け、暖かい食堂での昼食となった。秋葉神社の総本宮だけあって全国から寄贈された物の表示が目立ち「たいしたものだなあ」という感動も。歩いて登って来たのは、私たち以外には夫婦者1組とトレランで2往復するという妙齢の女性1人だけ。
下りは、車道と何回も交差しながら荒れた昔の参道を行く。これも東海自然歩道である。所々に石造りの常夜灯が立っている。刻まれた文字を読むと江戸時代の寄進だ。車道が無かった頃は、この常夜灯に点されたわずかな明かりを頼りにこの参道を人々は行き来したのだろう。龍山町戸倉の集落に出る。数戸の家が寄り添うように並んでいる。住人がいなくなった家が半分崩れながら建っている。その庭に梅の花が咲いている。
ほどなく天竜川本流が見え、秋葉ダムに到着する。この秋葉ダムは天竜川の逆調整池とのこと。駐車場脇の慰霊碑には、このダム建設で犠牲となった81名の作業員の名前が刻んであった。それほど大きなダムでもないのにそんなにも多くの殉職者が出たとは相当な難工事であったに違いない。
この山行は、隣の天竜川水系のことを知るよい機会となると思われる。参道を歩くことになるが、秋葉山からは浜松市街や遠州灘等が遠望できる。山行の頃は、桜の花が真っ盛りである。秋葉ダムの千本桜も見応えがあるだろう。
秋葉山は火伏せの神として庶民の信仰を集め、今なお全国から参詣者が絶えません。
今回は下社より三尺坊を経て秋葉神社上社(秋葉山頂)へと上り、桜並木の秋葉ダムへ下ります。
東北関東大震災からの復興と、福島原発事故の早期の収拾も祈念してきたいと思います。
期日:4月10日(日)
行程:島田(7:00)〜秋葉神社下社…三尺坊…秋葉神社上社…秋葉ダム駐車場〜島田(17:30予定)
歩行時間(含休憩):約5時間
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火伏せの信仰の山 秋葉山
4月の定例山行は、浜松市春野町と龍山町の境にある秋葉山885mである。秋葉山は山登りの対象というより、火伏せ(火防)の神社として全国に400社余りある秋葉神社の総本宮として有名である。秋葉山全体が火の神の御神体として江戸時代から庶民の信仰を集めた。毎年12月15,16日には「秋葉の火まつり」が行われ、火の舞が奉納される。
登り口は、春野町の秋葉神社下社近くの気田川畔の里坊という所にある。急な階段を上り詰めると千光寺という寺がある。その後東海自然歩道の道標に従うが、それは秋葉神社上社や秋葉寺への参道である。2,3mおきに横木を並べて登りやすいようにしてある。太い杉林の中をゆっくりと登っていく。その昔、老若男女が登った参道であるから急登はないがしっかり標高を稼いでゆく。千光寺から1時間ほどで少し開けた所に出る。見ると朽ちかけた古い小屋がある。ガイドブックによると富士見茶屋跡とのこと。昔、参道を登って来た善男善女はここで一息つき、喉を潤したのだろう。今は杉木立に囲まれて眺望はないが、その昔は富士山が望めたのだろう。
富士見茶屋跡から30分ほど登ると子安地蔵のお堂と昔の鳥居跡がある。お堂の前には沢山のひしゃくが積まれている。よく見るとそれらのひしゃくは全て底に穴が開けられている。札に書かれた説明によると、このお地蔵様は安産祈願の神様で、出産が無事に終わった親は底を抜いたひしゃくを奉納して感謝の気持ちを表すとのこと。
更に少し登ると、三尺坊大権現秋葉寺である。ここの山門は朱塗りで精巧な彫刻が施されている。昭和18年の大火の際、類焼を唯一免れた建物である。庫裏の軒下には薪が整然と積み上げられており、12月の火祭りの折りには護摩として焚かれるのであろう。
秋葉寺から30分程登ると秋葉山頂上885mである。着いて驚くのは、秋葉神社上社の立派なこと。金色眩しい大鳥居、豪壮な本殿、かわいい巫女さんもいる。売店や食堂も完備している。弁当持参の下見団だったが、「おいしいおそば」の看板に負け、暖かい食堂での昼食となった。秋葉神社の総本宮だけあって全国から寄贈された物の表示が目立ち「たいしたものだなあ」という感動も。歩いて登って来たのは、私たち以外には夫婦者1組とトレランで2往復するという妙齢の女性1人だけ。
下りは、車道と何回も交差しながら荒れた昔の参道を行く。これも東海自然歩道である。所々に石造りの常夜灯が立っている。刻まれた文字を読むと江戸時代の寄進だ。車道が無かった頃は、この常夜灯に点されたわずかな明かりを頼りにこの参道を人々は行き来したのだろう。龍山町戸倉の集落に出る。数戸の家が寄り添うように並んでいる。住人がいなくなった家が半分崩れながら建っている。その庭に梅の花が咲いている。
ほどなく天竜川本流が見え、秋葉ダムに到着する。この秋葉ダムは天竜川の逆調整池とのこと。駐車場脇の慰霊碑には、このダム建設で犠牲となった81名の作業員の名前が刻んであった。それほど大きなダムでもないのにそんなにも多くの殉職者が出たとは相当な難工事であったに違いない。
この山行は、隣の天竜川水系のことを知るよい機会となると思われる。参道を歩くことになるが、秋葉山からは浜松市街や遠州灘等が遠望できる。山行の頃は、桜の花が真っ盛りである。秋葉ダムの千本桜も見応えがあるだろう。